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宮澤エマさん(女優)

今活躍中の宮澤エマさんにご協力いただいて、
思春期を振り返って思うことを語っていただきました

―言葉、文化、進路の葛藤

私はアメリカ人の父と日本人の母の間に生まれ、幼い頃から日本とアメリカを行き来していました。最初に日本で3年ほど暮らしてから渡米したときは、英語が出来なくて、3か月間一言も話せませんでした。幼稚園に通うため日本に戻った時、今度は日本語が出来なくなっていて3か月間話せなかったのを覚えています。そして、バイリンガルになって欲しいという親の意向もあり、中学・高校は日本のインターナショナルスクールに通うことになったのですが、そのときには再び英語が出来なくなっていたので、すごく不安を覚えました。その頃がちょうど一つ目の思春期で、いろんなことが変わりだす時期でした。本当は、初等部の友達と一緒に進学したいと思っていたんです。みんなが将来のことを考えたり、なんとなく自分で意思決定をし始める頃に、「親の方針で自分の未来が決まっていく」というのが、すごく許せなかった。多分、そのことを誰にも相談できないことだと、自分の中で思っていたんでしょうね。「親が決めちゃうから、もう変えられないんだ」と。当時、学校の演劇部の先生に相談したり、チャットルームで会ったこともない大人に相談していました。自分の抱えている問題が解決できるようなことではないと理解していましたが、それでも、相談相手や共感してくれる人が欲しかったんです。そういうときに、自分の話を聴いてくれる大人に出会えたっていうのが、すごく良かったなと今になって思います。

―思春期の学校生活

インターナショナルスクールに移ったときも、最初の3-4か月は本当にしんどかったです。「学校に行きたくない」という気持ちが強まっていました。小学生の頃、不登校になりかけていた子と友達になって、一生懸命その子が学校に来るようにしたりすることもありましたが、いざ自分の環境が変わると私が学校に行きたくない側に回りました。環境の変化に適応しなければいけないと分かってはいるけれど、自分自身も成長期でプライドがあるし、友達のいない孤立しがちな環境の中にいたので。今思い返してみると、あの時ほど辛かったときはないかなって思います。

そんな中、「やりたくないことも、やらなきゃいけないからやる」ことで少し前進し、自信がつく経験もしました。親に無理矢理アメリカのサマーキャンプに入れられて、一か月間英語のみの環境でアメリカ人の子たちと暮らした結果、新学期になってから大きな自信に繋がった。そういう経験があったので、それ以降楽になったな、と何となく覚えています。

―自分の気持ちの表現法をみつけ、確立する

演劇や歌うことがすごく好きだったので、新しい学校でも演劇部やバンド活動、合唱をやっていました。そういう自分の気持ちを表現する場を見つけたのが、すごく良かったのかなと思います。自分の言葉で表現できなかったら、ほかの人の言葉を借りることができました。歌を聴くのも同じですね。凄いシンガーの歌を聴いたりすると、とても自由に聞こえる。思春期ならではの葛藤として、自由じゃないことに対するもどかしさがあると思うんです。歌は、表現の中に自由があって、自分にしかできないことがあるんだなって思えたのが、どこかベースになっているのだと今改めて思います。私は特に女子校に行っていたので、男子の目を気にせずにのびのびとやっていたなと思うんです。男の子もそうだと思うですけど、「もっとやっていいんだよ」「もっとのびのびと自分の意見を言ったり、間違えを恐れずに何かをすることが、もっとあっていいな」っていつも感じています。

―自分らしさという価値

思春期って、「自分だけのもの」というのがすごく少ないと思います。私には、勉強のできる優秀な姉がいました。それもあって、自分だけのものを持ちたいという気持ちがすごく強い子供でした。お芝居や歌というのは、何よりも自分が自信をもってできるものだと思っていたので、本を読むとか、舞台を観に行くとか、音楽を聴くというインプットもそうですし、部活でアウトプットするほうにも没頭することで、自分の芯を持てていたと思います。ブログにものを書くとか絵を描くとか、どんな形であってもいいと思うんです。心の中の「ざわついているもの」って大人になってからもありますが、思春期の頃は特別だなと思っています。その時が過ぎてしまうと無くなってしまうものだけれど、ものすごいエネルギー量もある。

私がちょうど18歳の時、アメリカでLGBTのティーンの子の自殺がすごく多くて、芸能人を含む大勢の人がtwitterやyoutubeなどのSNSで「それもいつかは過ぎる」というハッシュタグを発信していました。「今悩んでることも大事だけど、それとは違う価値観で暮らしていけるところがたくさんあるから、今そこで自殺するという選択肢を選ばないで、嫌だったらやめればいいし、違うところに行けばいいし」っていうメッセージを大勢で共有していたことが印象的でした。私の場合、恵まれた環境で育ってはいましたが、それでも思春期の葛藤が強くて、特に自分の内に閉じこもるタイプだったので、なんだか理解してもらえていないという想いを漠然と抱えながら過ごしていました。そういうときに没頭できるものがあって「でも、私にはこれがある」って思えたのは大きかったです。そのことをキャリアにできたのはすごくラッキーだったんですけど、例えできなかったとしても、その時代を良いものにできたと感じています。

―いじめ問題、或いは社会との繋がり

中学の頃というのは、一番痛いところを突き合う世代なんです。例えばいじめにしても、子供ながらに動物的な直観で「自分がこれをやらないと、今度は自分が標的になる」という、サバイバルな緊張感を持ち続ける毎日だったなと思います。不思議と、中3、高1になってくると、みんなスッと落ち着いて、己のことに一生懸命になり出す。今振り返ってみると、いじめる側にもいじめられる側にもなる可能性のある10歳から14歳の頃は、それに対抗する道具を持たないからこそ余計につらいし、それ以外の社会を持てないことが多いと大変になってしまうのではないでしょうか。大人でも、別の価値観に出会うことって少し面倒だなって思いますよね。facebookもそうですが、小さいコミュニティの中、1つの価値観の中だけで善と悪が決められてしまうというのは、結構怖いなと思うこともあります。もしそういうことで悩んでいるとすれば、LINEでもtwitterでもいいから全然違う価値観を持っている人たちとの出会いがもっと増えたら、価値観形成の中で良い影響があるのかな、と思います。

―やりたいことが見つからないとき

やりたいことが何なのかわからないとか、なんで学校に行くのか意味が分からない、ということって、結構あると思うんです。一生悩むことなんじゃないか、答えなんてないんじゃないか、と。ただ、生きていると思わぬことが起こるのが人生だなぁとは思います。いいことも、悪いことも。だから、ドラマティックで面白いことが起きていないからといって、生きる価値がない人生では決してないと思います。それにいつ出会うかは、意外に人生ってフェアのようでフェアじゃないから、最後まで来なかったりすることもあるし難しいなとは思いますけれど、それぞれの人にしかできないことって結構あるな、と思いますね。

―子に関わる大人たちに向けて

人を育てるって、大変だなと思います。責任重大だし、自分の言った一言が、人にこんなにも影響を与えるのかと思うと、尚のことです。でも、うまくいったときの喜びも、その分大きいですよね。だからもっと中学や高校で、カウンセリングや、大人たちとの交流があったらいいなと思います。学校が社会になっちゃうと、それ以外の世界が存在していることに対して興味がなくなっちゃうこともあると思うんです。それこそ私が憧れていた本や映画の主人公って、みんなすごく大人びていて、色々な大人たちからのインプットをもらっていたなと感じています。ですので、思春期の子どもたちにとって、大人たちと触れ合える場所があるのは、素敵だなと思っています。

―20代も、思春期の時代

母がよく言っていたのは、「20代って悩むことばっかりよ」ってことでした。大学が終わっても悩みは尽きないし、自分が取捨選択した道って、本当にこれでいいのかって悩みます。多分、一生悩み続けるんだろうなとは思いますが、生きているだけでも可能性が生まれる。2017年に演じた舞台で『ドッグファイト』という作品があるんですが、「人の可能性というのは他人が決めるものではなくて、自分が決めるものだ。生きていれば明日がある、死んでしまえば何も変えることができない。自分もそうだし、世界もそうだ」というメッセージが中心にあって、この作品を演じた時に、若い女の子、男の子から「勇気をもらった」「留学する後押しをしてもらいました」「きっともっとできる、ということを信じて、自分の可能性を決めつけないでやろうと思った」と言っていただけることが多かった。生のお芝居を観るとすごくエネルギーをもらうので、お芝居・演劇にはそういう力があるなと改めて思いました。悩んでいる人には、お芝居を観てもらうだけでも、もしかしたら何か与えることができるかもしれないし、演っている私もすごくエネルギーをもらえています。

―舞台のもつ熱量が、心を揺さぶる

今の時代、youtubeやテレビなど、エンターテイメントの情報があふれていて選び放題です。一方で、お芝居やコンサート、ミュージカルのように2時間を人と一緒に共有することってあまりないですよね。実際にお金を払ってそこに足を運んで、2時間なり3時間なりを共有する経験って、すごく贅沢でもありますし、自分を変える時間でもあるんだなとも思います。毎日つらくて突破口がどこにあるのか分からない人は、ぜひ劇場まで舞台を観に来てほしいですね。その時は何もひっかからなくても、ふとした瞬間に思い出すこともありますし、1000人来た中で、5人でも何か感じてくれたら嬉しいと思います。

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